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2024年10月2日の投稿[2件]
「重よ。わしは迷っている。なにゆえか、わかるか」 ふりむきながら、杖をうごかし、称はそう問うた。重耳は半歩さがった。が、こんどは目を落とさない。 ――おお、なにやら意見があるらしい。 称はたのもしげに重耳の口もとをみつめた。「短日(たんじつ)でございます」 重耳の口から出たことばはそれであった。「短日――」 称は眉をひそめた。短日とは、冬の短い日のことである。自分の問いが、重耳の体内にはいって霧散したようなたよりなさをおぼえた。
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長くなる…言いたい事はひとつしかないんだけど改めて漫画ちゃんと描くのに見ておいて良かったと思う、それぐらい良いアニメだったということ
最終回、オオミズチとの戦いが終わって召されかけてたサクナちゃんを包み込む両親はもちろんのことなんですが、そんなサクナちゃんのそばにいたのがタマじいとかいまるっていうのが、もう、ね
本当に追いかけてよかったって思わされました すごく清々しいです。
以下語りです 前置きも本題も長い
全部わたしの拡大解釈なのは前提としてお読みください
結構昔からジャンプ作品にしろサンデーその他BL作品にしろ「やたら強くてイケメンな若いキャラばっかり出てきて、ブサイク・年寄り・赤子を舞台装置的に雑に扱う作品」ってものに興味がぜんぜんわかなくて、まともな二次創作ガーッと始めたのが血界戦線だったのですが(そこで好きだったカプとかはもうpixiv見たらわかるので省きます)、血界戦線ってのが群像劇っぽいんだけど出てくるキャラとか化け物にそれぞれ焦点が当てられてて、しかも全員が知能高いわけじゃないんですよね
血界戦線苦手な方もいるとは思うんですけど!
自分が漫画として血界戦線が好きだった理由が、美人だとかイケメンだとかばっかりに焦点が当たるんじゃなくて、シングルファザーだとか子供とうまくいってない母親だとか騙されやすい化け物だとかそれなりに問題を抱えてるしちょっとほかの作品だと扱いづらい人にまで焦点当ててたんですよね まあこれも個人の感想なんですが…
だから元々、どこからそういう風に好みが決まったのかなってのはずっと気になってて
原点たどると中学の頃にはじめて読んでから作品を買い続けている、中国歴史小説作家の宮城谷昌光先生の最初期長編『重耳』なのですが、この上中下作品の上巻中盤で称っていうジジイ(王。戦争での駒の進め方で迷ってるナウ)と孫の重耳の会話がまさに、そこで好みが決まってしまったのかもな~と思い出しました
うろ覚えだったのでそこだけ読み返しました書きますね、てがろぐの引用機能ここではじめて使うんか~い
結局このあと称ジジイはこの孫との問答で活路を見出すんだよね、ただここ、実はこの重耳の「短日」の言葉は臣下のとある男が居ないと成り立たなかった場面で…
ここすごいのが称が戦場の経験も無い冴えない孫の言葉を聞き入れるだけの度量があったこと、臣下から学んだ言葉を素直に飲み込んで覚えて偉大な祖父との問答で答えることができた孫、そしてそのさえねー孫の体に言葉が行き渡るのを待ってくれてた教育係の臣下の男
と、この3人の連鎖が続かなければなしえなかったことなんだよね
多分上質な物語に触れたのが漫画よりも先に小説(絵もイラストも無い)だったから、イメージの世界で記号として「老人」「今んところさえねー孫」「陰に控えてるやつ」ってのが出来上がってしまったのかも
そのあとずっと宮城谷作品に触れ続ける訳ですが…、どうしてもこの、根底にある”幼き者からも老いた者からも、そしてパッともしない冴えない奴、目立たない奴からも、人生の活路や希望を見出せるヒントが身体に詰まっている”っていうのにとらわれてて
(当時が中二病、思春期真っただ中だったから、自分への劣等感ともすごく相性が良くて精神に癒着した結果今に至る~ともとれますが笑)
さっき言った「かいまる(幼児)とタマじい(老人)が、成長して大きな苦しい戦いを終えて亡き両親とも別れを済ませたサクナちゃんの一番そばにいたこと」が、老いからも幼さからもそれぞれ救いや温かさを得ることができるんだよっていうささやかなメッセージにも思えて、サクナちゃんが決戦前に米食いながら「1粒に7人の神が…」っていう話をしたのも考えると
サクナちゃんがここまで一人で来たんじゃない、一人で来たんじゃないから戦えるんだぞっていうのを始まりから終わりまで体現したのがまじくっそうんこめっちゃ良くて
吐きそう 語彙がここでバカになっちゃった畳む
とにかく本当に すげ~~いいアニメだったなって
アニメスタッフさん お疲れさまでした。 本当に良いアニメでした。