No.550, No.549, No.548, No.547, No.546, No.545, No.544[7件]
うーーーーむ
縁切り神社行くべきか〜〜…。悲しいなー
ここまでクソ化するとは思わんかった
まだ神に頼る段階ではないと思いたいけど流石にしつこすぎる
10年前はこんな事になると思ってなかったな
縁切り神社行くべきか〜〜…。悲しいなー
ここまでクソ化するとは思わんかった
まだ神に頼る段階ではないと思いたいけど流石にしつこすぎる
10年前はこんな事になると思ってなかったな
思ったけど絵が上手くなりた〜いって気持ちが成就しないのって方向性が決まってないからかな???
勇者と息子ってpixiv投稿したら毎回ランキング2〜3種×2〜3日間ランクインするんだけど(ありがとう!!!!)、これってきっと「あー月末ならもうすぐ更新するかな」って気にしてくれる人が投稿後に必ずポチってくれる+日記見に来てる人が「本編は読んでたけど今月の表紙とあらすじ何だろう」て見に来てくれる、
の瞬間風速でランクインしてるんだよな
個人サイトで過ごすようになってからこの漫画ってほんと内輪向けだよな〜〜〜と思う コメント欄も毎回返事するの普通になってきちゃった 顔ぶれも覚えて来た!💞
本当に感謝してるしありがたいって気持ちがあるのに、アクセス数増えた時ほんとにうろたえた マジで沢山の人に見てもらいたいって思ってたのに…
20話になると『もう理解できて付き合ってくれる人だけでいいです』て感情もどんどん大きくなってくる
見てもらいたくて描いてたのに、数が増えれば増えるほど今まで応援してくれてた人たち一人一人のメッセージに触れる時間が短くなる 永遠に考えるわ
の瞬間風速でランクインしてるんだよな
個人サイトで過ごすようになってからこの漫画ってほんと内輪向けだよな〜〜〜と思う コメント欄も毎回返事するの普通になってきちゃった 顔ぶれも覚えて来た!💞
本当に感謝してるしありがたいって気持ちがあるのに、アクセス数増えた時ほんとにうろたえた マジで沢山の人に見てもらいたいって思ってたのに…
20話になると『もう理解できて付き合ってくれる人だけでいいです』て感情もどんどん大きくなってくる
見てもらいたくて描いてたのに、数が増えれば増えるほど今まで応援してくれてた人たち一人一人のメッセージに触れる時間が短くなる 永遠に考えるわ
む~~あぁ 『第21話の更新が完了してpixiv投稿も終わったら、天穂のサクナヒメ最終回視聴する』って自分で決めてた事で、さきほど実行しました。
長くなる…言いたい事はひとつしかないんだけど改めて漫画ちゃんと描くのに見ておいて良かったと思う、それぐらい良いアニメだったということ
最終回、オオミズチとの戦いが終わって召されかけてたサクナちゃんを包み込む両親はもちろんのことなんですが、そんなサクナちゃんのそばにいたのがタマじいとかいまるっていうのが、もう、ね
本当に追いかけてよかったって思わされました すごく清々しいです。
以下語りです 前置きも本題も長い
全部わたしの拡大解釈なのは前提としてお読みください
結構昔からジャンプ作品にしろサンデーその他BL作品にしろ「やたら強くてイケメンな若いキャラばっかり出てきて、ブサイク・年寄り・赤子を舞台装置的に雑に扱う作品」ってものに興味がぜんぜんわかなくて、まともな二次創作ガーッと始めたのが血界戦線だったのですが(そこで好きだったカプとかはもうpixiv見たらわかるので省きます)、血界戦線ってのが群像劇っぽいんだけど出てくるキャラとか化け物にそれぞれ焦点が当てられてて、しかも全員が知能高いわけじゃないんですよね
血界戦線苦手な方もいるとは思うんですけど!
自分が漫画として血界戦線が好きだった理由が、美人だとかイケメンだとかばっかりに焦点が当たるんじゃなくて、シングルファザーだとか子供とうまくいってない母親だとか騙されやすい化け物だとかそれなりに問題を抱えてるしちょっとほかの作品だと扱いづらい人にまで焦点当ててたんですよね まあこれも個人の感想なんですが…
だから元々、どこからそういう風に好みが決まったのかなってのはずっと気になってて
原点たどると中学の頃にはじめて読んでから作品を買い続けている、中国歴史小説作家の宮城谷昌光先生の最初期長編『重耳』なのですが、この上中下作品の上巻中盤で称っていうジジイ(王。戦争での駒の進め方で迷ってるナウ)と孫の重耳の会話がまさに、そこで好みが決まってしまったのかもな~と思い出しました
うろ覚えだったのでそこだけ読み返しました書きますね、てがろぐの引用機能ここではじめて使うんか~い
結局このあと称ジジイはこの孫との問答で活路を見出すんだよね、ただここ、実はこの重耳の「短日」の言葉は臣下のとある男が居ないと成り立たなかった場面で…
ここすごいのが称が戦場の経験も無い冴えない孫の言葉を聞き入れるだけの度量があったこと、臣下から学んだ言葉を素直に飲み込んで覚えて偉大な祖父との問答で答えることができた孫、そしてそのさえねー孫の体に言葉が行き渡るのを待ってくれてた教育係の臣下の男
と、この3人の連鎖が続かなければなしえなかったことなんだよね
多分上質な物語に触れたのが漫画よりも先に小説(絵もイラストも無い)だったから、イメージの世界で記号として「老人」「今んところさえねー孫」「陰に控えてるやつ」ってのが出来上がってしまったのかも
そのあとずっと宮城谷作品に触れ続ける訳ですが…、どうしてもこの、根底にある”幼き者からも老いた者からも、そしてパッともしない冴えない奴、目立たない奴からも、人生の活路や希望を見出せるヒントが身体に詰まっている”っていうのにとらわれてて
(当時が中二病、思春期真っただ中だったから、自分への劣等感ともすごく相性が良くて精神に癒着した結果今に至る~ともとれますが笑)
さっき言った「かいまる(幼児)とタマじい(老人)が、成長して大きな苦しい戦いを終えて亡き両親とも別れを済ませたサクナちゃんの一番そばにいたこと」が、老いからも幼さからもそれぞれ救いや温かさを得ることができるんだよっていうささやかなメッセージにも思えて、サクナちゃんが決戦前に米食いながら「1粒に7人の神が…」っていう話をしたのも考えると
サクナちゃんがここまで一人で来たんじゃない、一人で来たんじゃないから戦えるんだぞっていうのを始まりから終わりまで体現したのがまじくっそうんこめっちゃ良くて
吐きそう 語彙がここでバカになっちゃった畳む
とにかく本当に すげ~~いいアニメだったなって
アニメスタッフさん お疲れさまでした。 本当に良いアニメでした。
長くなる…言いたい事はひとつしかないんだけど改めて漫画ちゃんと描くのに見ておいて良かったと思う、それぐらい良いアニメだったということ
最終回、オオミズチとの戦いが終わって召されかけてたサクナちゃんを包み込む両親はもちろんのことなんですが、そんなサクナちゃんのそばにいたのがタマじいとかいまるっていうのが、もう、ね
本当に追いかけてよかったって思わされました すごく清々しいです。
以下語りです 前置きも本題も長い
全部わたしの拡大解釈なのは前提としてお読みください
結構昔からジャンプ作品にしろサンデーその他BL作品にしろ「やたら強くてイケメンな若いキャラばっかり出てきて、ブサイク・年寄り・赤子を舞台装置的に雑に扱う作品」ってものに興味がぜんぜんわかなくて、まともな二次創作ガーッと始めたのが血界戦線だったのですが(そこで好きだったカプとかはもうpixiv見たらわかるので省きます)、血界戦線ってのが群像劇っぽいんだけど出てくるキャラとか化け物にそれぞれ焦点が当てられてて、しかも全員が知能高いわけじゃないんですよね
血界戦線苦手な方もいるとは思うんですけど!
自分が漫画として血界戦線が好きだった理由が、美人だとかイケメンだとかばっかりに焦点が当たるんじゃなくて、シングルファザーだとか子供とうまくいってない母親だとか騙されやすい化け物だとかそれなりに問題を抱えてるしちょっとほかの作品だと扱いづらい人にまで焦点当ててたんですよね まあこれも個人の感想なんですが…
だから元々、どこからそういう風に好みが決まったのかなってのはずっと気になってて
原点たどると中学の頃にはじめて読んでから作品を買い続けている、中国歴史小説作家の宮城谷昌光先生の最初期長編『重耳』なのですが、この上中下作品の上巻中盤で称っていうジジイ(王。戦争での駒の進め方で迷ってるナウ)と孫の重耳の会話がまさに、そこで好みが決まってしまったのかもな~と思い出しました
うろ覚えだったのでそこだけ読み返しました書きますね、てがろぐの引用機能ここではじめて使うんか~い
「重よ。わしは迷っている。なにゆえか、わかるか」
ふりむきながら、杖をうごかし、称はそう問うた。重耳は半歩さがった。が、こんどは目を落とさない。
――おお、なにやら意見があるらしい。
称はたのもしげに重耳の口もとをみつめた。
「短日(たんじつ)でございます」
重耳の口から出たことばはそれであった。
「短日――」
称は眉をひそめた。短日とは、冬の短い日のことである。自分の問いが、重耳の体内にはいって霧散したようなたよりなさをおぼえた。
結局このあと称ジジイはこの孫との問答で活路を見出すんだよね、ただここ、実はこの重耳の「短日」の言葉は臣下のとある男が居ないと成り立たなかった場面で…
ここすごいのが称が戦場の経験も無い冴えない孫の言葉を聞き入れるだけの度量があったこと、臣下から学んだ言葉を素直に飲み込んで覚えて偉大な祖父との問答で答えることができた孫、そしてそのさえねー孫の体に言葉が行き渡るのを待ってくれてた教育係の臣下の男
と、この3人の連鎖が続かなければなしえなかったことなんだよね
多分上質な物語に触れたのが漫画よりも先に小説(絵もイラストも無い)だったから、イメージの世界で記号として「老人」「今んところさえねー孫」「陰に控えてるやつ」ってのが出来上がってしまったのかも
そのあとずっと宮城谷作品に触れ続ける訳ですが…、どうしてもこの、根底にある”幼き者からも老いた者からも、そしてパッともしない冴えない奴、目立たない奴からも、人生の活路や希望を見出せるヒントが身体に詰まっている”っていうのにとらわれてて
(当時が中二病、思春期真っただ中だったから、自分への劣等感ともすごく相性が良くて精神に癒着した結果今に至る~ともとれますが笑)
さっき言った「かいまる(幼児)とタマじい(老人)が、成長して大きな苦しい戦いを終えて亡き両親とも別れを済ませたサクナちゃんの一番そばにいたこと」が、老いからも幼さからもそれぞれ救いや温かさを得ることができるんだよっていうささやかなメッセージにも思えて、サクナちゃんが決戦前に米食いながら「1粒に7人の神が…」っていう話をしたのも考えると
サクナちゃんがここまで一人で来たんじゃない、一人で来たんじゃないから戦えるんだぞっていうのを始まりから終わりまで体現したのがまじくっそうんこめっちゃ良くて
吐きそう 語彙がここでバカになっちゃった畳む
とにかく本当に すげ~~いいアニメだったなって
アニメスタッフさん お疲れさまでした。 本当に良いアニメでした。
なんかほんま申し訳ないな〜!BLを描いてるのは描いてるんだけど簡単にひっつかないから私達はBLが好きなんだもんな
なんならなんで二次創作が流行るかというと、くっつかないけど距離が近いからだもんな
なんならなんで二次創作が流行るかというと、くっつかないけど距離が近いからだもんな
浦沢直樹が「顔はキャラクターの命」とか言ってて結構な数の人がそれに共感してるけどさ
すげーなー!!と思ってそのまま真似しちゃうと化けの皮剥がれた時めっちゃ恥ずかしいんだ、経験あるから絶対真似とかしないでおこうって思った
エネルギーあって強い人のもとに人間集まりやすいってのは憧れや羨ましさ、そのエネルギーを分けて欲しいって思ってんだよね
すごくよく考える、Twitterの気が強い人の発言や振る舞いの真似だけして、自分流の強さみたいなのちゃんと確立できなかった部分
そこについては20代無駄にしたなって
30代は本物の殺意を周囲から学ぶ機会が多いから、そこはちゃんと感じ取って手段を選んでいこうとおもう!!